2005年

ーーー12/6ーーー 父の脳卒中

 
この冬最初の雪が降った12月3日、松本のホテルで昼食をとっていた父が突然倒れた。救急車で市内の総合病院に運び込まれ、ただちに検査を受けたところ、脳内出血で左半身不随と診断された。

 父の様子がおかしいから迎えに来てくれという母からの電話を受けて、私がホテルに着いたときは、すでに事件が起きた後であった。私は事の次第をホテルの従業員から聞いた。病院へ駆け付けると、父は救急救命センターのベッドの上に居た。

 医師は脳の断層撮影の画像を示しながら、白く写っている部分が出血箇所だと言った。それは左半身の運動を支配する領域で、出血により脳がダメージを受けるので左半身不随になるとのことだった。

 私が「ダメージを受けた脳は元に戻るのですか」と聞くと、「小さい子供なら例外もあるが、傷ついた脳というものは再生しないのです」と言われた。後はリハビリで機能回復を図るしかないと。どのくらい効果があるかは、やってみなければ分らない。

 ベッドの上で、父の意識は比較的はっきりとしていた。右手で左手をさわりながら、「これはいったい誰の手だ」と言った。ただし、口も片側しか使えないので、言葉は極めて不明瞭であった。

 父は今年86歳になった。学生時代の友人たちは、ほとんどがもうこの世に居ないが、父は年令のわりには元気であった。酒の飲み過ぎで体調を崩すことはあったが、これといった病気もなく、健康に過ごして来た。車も運転し、毎日のように母の買い物に付き合った。

 父は常々、「俺は健康に生き、ぱったりと死ぬ」と言っていた。家族の介護を受け、周囲に迷惑をかけるような生活、無為に生かされているような人生、老醜をさらすような境遇はご免だというのである。

 しかし父の願いはかなえられそうもなくなってきた。



ーーー12/13ーーー 今年のギルド展

 毎年この時期の恒例となっているギルド展が開催された。ギルドの正式名称は「安曇野穂高家具ギルド」。このグループの展示会を、仲間内ではギルド展と呼んでいるが、これはこの地域でかなり一般的になってきていると思われる。

 会期は三日間であったが、あいにく寒さが厳しく、雪がちらつく天気だったので、お客様の出足は鈍かった。

 それでも、丁寧に作品を見て下さったり、椅子に腰掛けて座り心地を試されたり、製作者に話しかけて会話をもたれたりと、中身の濃い反応をされるお客様が多かった。そのようなお客様の比率は、年々高くなってきているように感じる。

 この展示会は、プロの木工家集団がやっていることであるから、経済効果を期待するのは当然である。しかし、それとは別に、手作り木工家具というものを世の中の人々に知ってもらいたいという、教宣的な側面もある。その意味では、お客様の反応が良くなってきているというのは、嬉しいことである。

 写真は私のコーナーである。手前はお馴染みのアームチェアCATたち。

 その向こうには、センという材種の大板を、見本として展示した。仮設の脚の上に置いて、高さが標準的なテーブルと同じになるようにセットした。この板でテーブルを作りませんかという主旨である。

 板の周囲には、ギルド展初お目見えのSSチェア3脚と、稼ぎ頭のアームチェア93を配置した。また、板の上には違う種類の材で作った小箱を4ケと、ミニチュアのダイニングセットを展示した。なお黄緑色の丸い物体は、お客様から差し入れで頂いた洋梨。

 壁面には私のプロフィールと、作業風景のパネルが2枚掲げてある。

 自分で言うのも何だが、整った雰囲気の展示になったと思う。個々の作品に対するお客様の評判も良かった。しかし、残念ながら何一つ売れなかった。

 この地域でやるのだから、もとより大きな売り上げは期待していない。しかし、過去4回は多少なりとも売り上げがあったので、ゼロというのは厳しい結果であり、ちょっとショックであった。

 それでもまあ、「安曇野でこんなに素晴らしいものを作っている人がいるとは知らなかった」、「新聞で見て、わざわざ遠くから来た甲斐があった」などと言ってくれたお客様が何人かいたから良しとしますか。

 私も含めて、結構めげない面々である。最終日の撤収を終えると、来年の予約をして会場を後にした。



ーーー12/20ーーー イエス バージニア

 
日本で言えば明治30年頃のことである。米国はニューヨークに住む8歳の少女バージニア・オハンロンが、父親にある疑問を投げかけた。それに対して父親は、サン新聞(The New York Sunという名の新聞)に投書して答えてもらいなさいと言った。あの新聞に書いてあることは信用できるからと。

 少女の疑問は、「友達はサンタクロースなんかいないと言います。サンタさんは本当にいるのですか? 真実を教えて下さい」であった。

 この手紙に対するサン紙の回答は、新聞の歴史上最も有名な論説として語り継がれるものとなった。新聞の回答は、「Yes, Virginia, there is a Santa Claus 」だったのである。

 「あなたのお友達は間違っています。疑りぶかくなっていて、目にみえるものしか信じなくなってしまっているのです」に始まり、「サンタクロースは、この世に愛や大らかさや優しさが存在するのと同じように、確実に存在します」、「誰もサンタクロースを見た事がないかも知れません。しかしそれは、サンタクロースが居ないということの証拠にはなりません。世の中の一番大切なものは、大人にも子供にも見えないのですよ」と続く。そして最後に「メリークリスマス、よい新年を!」で結ばれている。

 この論説を書いたフランシス・チャーチという記者は、いくぶん冷笑的な男だったと言われている。彼の信条は「偽善を払拭する努力をせよ」だったとか。そんな彼が、少女の手紙を見て、「これは誠実に応えねばならぬ」と思い立ったそうである。

 この論説は、たちまち世間の評判となり、サン紙は1949年に廃業するまで、毎年この論説を掲載した。

 一方バージニアは、大人になってから教職につき、一生を教育に捧げた。彼女は生涯を通して、様々な人から例の手紙に関する問い合わせを受けた。その度に彼女は、この素晴らしい論説のコピーを同封して返事を出したという。  



 ところで我が家の長女がバージニアちゃんと同じ年令だった頃、クリスマスイブに次のような手紙を枕元に置いたことがあった。

「サンタクロースさん、この手紙を見たら、サインをして帰って下さい」

 サンタはサインを残していった。だが、どのようなサインだったのか? 小学生の娘にも分かるように、カタカナだったのか・・・

 そして翌年娘が書いたのは、次のような手紙であった。

「サンタクロースさん、こんばんわ。去年サインをしてくれたので、サンタさんがいるということがはっきり分りました。ところで、サンタさんはご存知ないかも知れませんが、今年の夏に妹が生まれました。もしプレゼントが余っていたら、妹にも何か置いていってあげて下さい」




ーーー12/27ーーー 山岳部OB会

 クリスマス・イブの日の午後、大学山岳部のOB会が、学内の会議室をパーティー会場に仕立てて開催された。私は軽トラックに椅子を積んで、信州安曇野から参上した。OB会参加にかこつけて、先輩諸氏に私の作品を見てもらい、ご助言、ご助力を頂ければとの目論みであった。

 会にはノーベル賞の白川先生もご出席なされ、楽しく賑やかな雰囲気になった。他のOBの紹介で、白川先生は私の椅子(CATのクッション座バージョン)に座って下さった。先生は「良い座り心地ですね」と言われたが、「しかし私は背もたれの高い椅子に昔からあこがれがあってね」との感想も述べられた。

 古代から中世にかけてのヨーロッパでは、椅子の背の高さが王家などの権威の象徴であった。白川先生のあこがれは、やがて学問の分野で世界最高の権威に上りつめることへの予感であったのか。とこれは、下衆の勘ぐりである。

 出席したOBは30名ほど。ほぼ全員が私より年上で、80歳に近い方もおられた。平均年令でも60代後半くらいか。それでも皆様年令を感じさせないバイタリティーの持ち主で、ヒマラヤのトレッキングや、ヨセミテの登山ツアーなどの体験を、写真映像を交えてご披露された。

 会は夕刻に終わり、キャンパス周辺の飲み屋街に場所を移して、二次会、三次会と続いた。昔話に花が咲き、山の歌なども飛び出して、楽しかった。しかし私は、翌日都内で仕事の予定があったので、途中で失礼した。そして学内の部室に戻り、寝袋に入って眠りについた。

 ところが1時間ほどすると、現役学生が2〜3人やってきた。その物音で目が醒めた私は、寝袋に半身を入れたまま、酔眼もうろうとしながらも、学生たちと話をはじめた。話はだんだん熱をおび、登山論から若者気質今昔、平和の恩恵からゲームの功罪まで、およそ3時間ちかく続いただろうか。この若者たちとの対話も、なかなか楽しいものだった。



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